ジャンル論

増田聡さんの『聴衆をつくる―音楽批評の解体文法』という本を読んでます。
ポピュラー音楽をめぐる言説において「愛着のディスクール」の支配が根深い、つまり自分がそのアーティスト、作品を好きであることがそれを語るのに必要不可欠となってしまっている、という序文の指摘は、ポピュラー音楽のジャーナリズム、評論(ロッキンオンに典型的な)に対して自分が感じていた違和感を適切に言葉で表してて納得してしまったり。
3章まで読んだんですが、特に2章のジャンル論が興味深いです。

ポピュラー音楽のジャンル観念は
①恣意性(作品の持つさまざまな特質のどれをメルクマークとみなすかの判断で異なる分類体系へと編成される余地を残す)
②規範性(いったん分類が成立するとその分類は容易には変えられず、音楽家や聴衆には社会的リアリティを持つ規範として働く)
という二面性を持ち、両者は実際のポピュラー音楽の実践全体のなかで相互に絡まりあっている。とわかりやすい模式図つきで述べられているんですが、この恣意性と規範性って学問領域に近いんじゃないかと思ったり。
ある作品を、どの特質に焦点をあてるか次第でブルース、ファンク、ヒップホップなどその他もろもろのジャンルに還元しうるのと同じように、ある関心対象を焦点のあてかた次第で社会学、美学、宗教学…などいずれの学問領域に属するとみなすことができるのかな。
で、〜はロックだ/でないという議論、あるいはロックの起源をどこに求めるかというよくなされる議論に見られるジャンルの規範性は、「ロックでなければなんでもよかった」(by.Wire)のような音楽実践を生み出すように、ジャンルを牢獄として捉える見方につながりますが、これって既存の学問ディシプリンの硬直化と閉塞化を打ち破るために出てきた学際的研究全般に近いのかなと勝手に飛躍して解釈。

まあ、そんなWireポスト・パンク/ニューウェーブというジャンルに分類されることになるわけですが…。(まさに「ジャンル観念と音楽実践の不断の弁証法」だなあ)

聴衆をつくる―音楽批評の解体文法

聴衆をつくる―音楽批評の解体文法

Pink Flag (Dig)

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